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吉村昭著 「羆嵐(くまあらし)」 に想像力を! [読書]

裏表紙の紹介文をざっと、写します。

《大正4年12月北海道天塩山麓の開拓村を
恐怖の渦に巻き込んだ一頭のヒグマの出現と殺害された開拓民たちとその村、
そして
ひとり沈着にヒグマと対決する老練な猟師の姿を浮彫りにしたドキュメンタリー長編・羆嵐》


読み終わったあと、「羆という食肉獣」と当時の「貧しい暮らしぶり」と

21世紀の「豊かさ」のすぐ裏にひそむ「原子力発電という肉食獣」を

取り入れてしまった時代を、重ねて考えることができると感じたのです。

見ることや臭いも感じとることもできない「放射能という肉食獣」に

想像を働かせることは、難しいでしょうか。


この本にはこんなシーンが描かれています。

案内の集落の区長と、羆を退治するために出かけ、羆の行状を見て怖くなり、

慌てて帰還した下士の男たちを、上司が怒鳴りつけました。


・・・・引用・・・

《 区長は、頭をさげて土間におりた。
かれは、この口髭をはやした男(分署長)はまだなにもわかってはいないのだ、
と胸の中でつぶやいた。

分署長は、顔色を変えて逃げ帰ってきた男たちを罵った。

確かに男たちは、ヒグマに襲われたわけではなく、物の影に怯えたにすぎない。

しかし、彼らは、村落内の深い静寂に一頭の食肉獣の息遣いを身近に感じ、
六線沢がヒグマの支配する地であることを知った。

それによって、かれらは競うように六線沢を離れたのだが、
それを責めることはできないはずであった。

区長は、医師に随行して村落に入っていった男たちに親近感に似たものを
いだいていた。少なくともかれらは、3時間足らずの行動によって、
じぶんたちと同じ感情の動きをしめす人間になったことはあきらかだった。 》


・・・以上 引用・・・


[口髭をはやした男(分署長)]を
原子力発電事故被害(ヒグマ)の実態を知ろうともせずに、
遠く安全な場所で机の上で数値をながめ、
子供にも20ミリシーベルというおとなとおなじ基準値を適用する
「空缶」という男に変換することができるかもしれない
と想像することは不適切だろうか。

福島原発事故後の3月21日に福島のお母さん住民たちから現状を、
直に聞くことができた、あの文部科学省の若いお役人たちは
福島被災住民と「感情」を共有し、子供たちの将来を理解しただろう、と
YOUCUBE動画を見たとき思ったのです。
が、大ハズレでした。20ミリシーベルが覆されなかったからです。

チエルノブイル原発事故の研究家で
日本の原子力専門家の高官が知識を総動員し、
「小学校などの校庭利用線量基準(年間20ミリシーベルト)を、
乳児、幼児、小学生に適用することはヒューマニズムの観点から絶対に受け入れられない」

と、想像力の欠如した国の最高責任者「空缶」に
抗議の辞任届けを提出したことからもあきらかです。


精力的で緻密な取材をもとにした「羆嵐」という著作を通して、
原発事故を重ねることに違和感を覚える読者もおられるかもしれない。

けれど、吉村昭氏がドキュメントを通して訴えておられるのは
「生きる危機感」だとわたしは思うので、
地下の吉村昭氏には許していただけると信じています。




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